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別府ぅな侍
高田の写真。
 
Page5 生き残って

高田は昭和二十年五月に徴集され、ソ連と満州国の間を隔てる国境の守備隊として七七七部隊に配属された。八月九日にソ連が侵攻してきた際に左胸部に銃弾を受けた。一度は気絶したが、幸いにも心臓部から外れていたために生還でき、その後陣地まで自分で行き上野清衛生上等兵に、

「おい!高田二等兵、直ぐにでも応急の処置をしないと化膿して生命の保障はできんぞ、こっちに来い」

 といわれ、摘出手術をした。そのときの状態は暗い陣地でローソクの灯りで麻酔なしの執刀、高田は絶叫して気を失ったという。その後、高田や上野は戦友の死体が陣地にある中、生き残っている数人と脱出を決めて陣地を出るが、逃亡中にソ連軍に攻撃を受け、生き残っている四人の戦友とはぐれてしまい高田はひとりで逃げ続けた。その日数五十七日間で、ぼろぼろの服と靴がない状態で密林の中を走り抜け、やっとの思いで街に出たときは空腹で、時には盗みを犯しながらも生き残った。

 その後、高田はソ連の捕虜収容所に入れられ、「極寒、空腹、栄養失調、強制労働、病気入院、それに加え、スターリン政権の『赤の洗脳』に耐えてようやくにして二年数ヶ月の抑留生活を終えて」、帰国した。

 六十年の時が過ぎて、高田は今井の前にいた。

「身体の具合はどうなんですか」
「今は脊椎の病気でね、脚が痺れたり症状がたくさん出ておる。手術するべきなんだが、手術するにも高齢過ぎて医者には『命に関わる』といわれ手術はしていない」

 高田は前をしっかり向いて今井に言葉を出した。今井は電話のときの印象と高田のしっかりしている姿のギャップであまりそこまで症状が悪いようには思えなかった。しかし、それでも目に見えないところでは病が蝕んでいるのだろう、そう今井は思った。

 外は暗く、そこまで気温は低くはないが高田は膝掛けの毛布を膝にかけている。部屋は蛍光灯によって無機質に照らされ、あまり落ち着くような雰囲気の場所ではないが仏壇と本棚、それに畳があるために居心地の悪さは解消されている。今井は高田に最初に質問をした。

「高田さん、僕は今回高田さんにお会いできてとてもうれしいです。高田さんの著書には別府市立図書館で出会いましたが、書かれたのは三年前ですね。なぜ、今になって本を出そうと思ったのですか」

 高田は、そうだね、と言い話し始めた。

「三年ぐらい前から執筆の構想は立てておったのだけれど、二年前の終戦六十年を機に私自身死ぬ前に私しか知らないことを書きたいと思ったんです。それは自分の意思で書きたいと思ったんです」
「そうなんですね」
「今井さんでしたか、これを見てください」

 高田は立ち上がり、本棚からいくつかの大きな封筒を取り出し、仏壇の横の襖からも資料らしい封筒を取り出してきた。

「これが、手書きで書いたこの本の原本ですわ」

 高田の手元には原稿用紙が数百枚の分厚い束になって置かれ、それを僕の手に渡した。重い。これが他の資料ですわ、と古い封筒や紙の箱から写真や大量の文書をテーブルに置いた。

「私はこれを昭和32年頃から集めだしたんですわ」
「昭和32年ですか、それは1957年ですね、ということは50年も前からということですか」

 今井は驚きを隠せず聞き、高田は微笑んでいた。

「これは戦友のためなんですよ」

 今井は高田の顔をまっすぐ見ていた。

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記者:今井紀明