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亀川の一望。 この場所で今井は工藤と会っている。 |
Page1 工藤の戦後の体験から見えるもの
今年の二月のある日、今井紀明は以前プロとしての演奏家としてキャリアを積んできた工藤高邦の家を訪れていた。工藤は世間に名前が良く知られている名古屋フィルハーモニーに以前属しており、定年退職して別府にやってきた。今井は工藤のことを「別府ぅな侍」のインタビュー記事として載せられないかと話をしにきたのだ。そこで今井は工藤の生い立ちのことを聞いていた。 「僕の父は満鉄に勤めていて、ちょうど終戦になる五ヶ月ぐらい前に僕は生まれた。そしてどさくさにまぎれてなんとか終戦になったときに日本に帰ってくることができたんだ。もう、僕はそのとき栄養失調寸前だったみたいだね」 今井は静かにコーヒーを飲みながら聞いていた。工藤は少し間を置いて話し始めた。 「小学校を上がっても、その時代はまだ貧しくてね、食べるのが大変なときだった。僕の小学校の同級生も小学校一年生、二年生までは学校に来ていたけれど突然三年生になったときに姿を消した。そのあと知ったことだけれど、どうやら亡くなったらしいんだ。彼はとてもやせ細っていたしね、食べるのが大変なときだったんだよ」 今井は頷くことぐらいしかできなかった。今井の父は昭和二十四年生まれで、戦後の貧困の話をよく聞いたことがあったが、そこまでひどいものだとはあまり思ってはいなかったのだろう。それに話は理解できたとしても、今の日本の状態から頭から離れないために日本の貧困の時代を想像することができなかった。工藤はそれを察したようで、今の日本じゃ考えられないことだが、と話しを付け加えた。 「五年ぐらい前、僕がまだオーケストラに所属していたときに演奏旅行でマニラにいったことがある。空港から随分と警護されながらバスに乗り僕はスラム街を抜けていった。でも、信号などで止まったときに子供たちが物乞いや何かを買ってくれないかと思ってバスにたくさん近づいてきた。そのとき、若い団員は気持ち悪がっていたけれど、僕は、昔の自分を思い出したよ。昔も日本はああだったんだって。何もなかったときにアメリカ人などに群がっていった子供たちがたくさんいたんだ。僕もその中の一人だったと思えてね、とても不思議な思いだったよ。昔の日本を知りたければ彼らを見ればいい。そこには昔の日本の姿があったんだからね」 結局、今井は工藤にインタビューの件について、 「あとにしてくれないか、今年の五月ぐらいがいいかな」 と言われて工藤の家を出た。しかし、戦後の貧困体験など記憶をさぐるように話してくれた工藤の話が頭に焼き付いていた。 |
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記者:今井紀明 |
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