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「酒もたばこも恋もせず、空手まっしぐらな大学生活。」
三浦館長の子どもの頃はどんなお子さんだったんですか?
僕は一人っ子だったんでね、決して強いような感じではなく、ひ弱な子だったと思います。まあ勉強もそんなにできる方ではなくて、でも元気に友達と遊んでましたね。昔から強さには憧れていました。
空手は子どもの頃からされていたんですか?
18歳で福岡大学に進学してから、町の道場で始めたんです。当時ブルースリーの「燃えよドラゴン」という映画に憧れて、高校生の時に空手をやりたいと親に言ったんですが、反対されて。じゃあ大学で親元はなれたときに自由にさせてもらおうと思い、入学したその日に、電話帳で道場を探して入門しました。
大学に空手部はなかったんですか?
大学の空手部は「寸止め式(直接打撃せずに寸前で止める)の空手」で、僕は「直接当てる(直接打撃制空手)空手」がしたかったんでその道場を探して行ったんです。その時の師範に空手のいろはをいろいろ教わりました。
師範はどんな存在でしたか?
僕は一人っ子だったんで兄貴のような存在でしたね。身近な存在でした。かっこいい先生でしたね。
道場での練習は厳しかったですか?
厳しかったですね。屋外稽古で神社の境内で一年中やってたんですよ。雨の日以外は敷地内の土の上でやってましたね。冬なんか毎日寒稽古ですよ。
大学の4年間で空手以外には何かされていましたか?
何もやってないです。大学時代は空手づくしでしたね。勉強もまったくせず、酒もたばこも恋もしてないです。 |
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同じ目的をもった空手の仲間や先生の影響を受けまして、軟弱だったんですけど少しづつ自分の中にある男のイメージに近づいていったと思います。
大学の4年間では試合には出られたんですか?
厳しかったですね。屋外稽古で神社の境内で一年中やってたんですよ。雨の日以外は敷地内の土の上でやってましたね。冬なんか毎日寒稽古ですよ。
教えるのが好きだったんですか?
そういうわけでもないんですけど、30年前は試合を目指すという時代でもなかったし、自分を鍛えるために道場に入ってたんでね。今はもう道場に入る=試合に出ていくというシステムになってますけどね。大学を出た後は、NTT関東に就職したんですよ。卒業と同時に師範に道場を立ち上げる免状をもらったんです。ただまだ22歳だったので、どこかで修行したいという気持ちがあって有名な極真会館、埼玉支部の道場に入門し、白帯でまた一から始めました。そこで色んな友達に出会えたんですけどね、生涯の友達に。そこでは空手のすごみを教わりましたね。埼玉では週3日で、4年間くらい稽古をしました。
埼玉での練習は大学時代と比べて厳しかったですか?
福岡の道場で稽古をしていたことが全く通用しませんでしたね。厳しさがまったく違いました。練習のベースは同じなんだけど、さらに上の稽古を平気な顔でやってるんです。僕が3が限界だと思ってたことが、向こうは10が限界になっちゃってるんで。環境になじむということが大変なことがわかりました。 同じNTTの寮に入った時に、同じ極真会館に通っていた鳥屋亘(元 新極真会群馬高崎支部長、現錬志会館相談役)っていうやつがいたんですね。そいつと意気投合してね。彼は群馬支部、僕は埼玉支部に通っていて、よくどちらかの部屋で夜おそくまで空手の研究をしましたね。女の話とか全くしないですよ。今日はこういう練習をしてきたとか、こういう技があるよ、とか。 |
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記者:中山恵理子
撮影:宮田 峻伍 |
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