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別府ぅな侍
工藤高邦さん プロフィール

大分県杵築で生まれる。現在は別府市の亀川に在住。大学卒業後、東京フィルハーモニーでヴァイオリン、その後30年近く名古屋フィルハーモニーでビオラ奏者のプロとして活動する。現在、別府市で「レ・コルデ」という室内演奏楽団で活動している(ライブ情報は最後に載せてあります)。
   
   
<音楽を始めた原点 偶然の出会い>
ご無沙汰しています。2月にお会いして以来ですね。お元気で何よりです。今日はいろいろなお話を聞きたいですね。まずは、音楽に興味を持ち始めた頃の話を聞かせてください。
父が音楽好きだったみたいだね。僕は音楽好きだったのかがよくわからないけれど(笑)。父が僕にやらせたかったんだろうね、それが小学校1年生ぐらいで1度やめたんだけれど、なぜかわからないけれど小学校3年生ぐらいに「もう1度やりたい」と言い出した(笑)。なぜだかまったく覚えていない。あの当時、僕の家にはテレビもラジオもなかったから、音楽を聴いたわけではなかったのだけれども、もう1度楽器を始めて今度は先生をつけてもらった。そのとき僕は杵築に住んでいたのだけど、良い先生に当って平井さんという60歳を越えた方だった。ヴァイオリンもピアノもできた先生で、もともと高校の先生だった。その人に父がつけてくれた。それが昭和30年(1955年)だったね。そのころ楽譜なんていうのは高くて、練習したくても買えないので先生が手書きで書いてくれた。見せようか?
あるんですか?
それはもちろんある。この楽譜だけは大切なんだよ。他の楽譜よりもこの楽譜だけは耐火金庫に入れるよね。それで僕が死んだら「何この楽譜?」っていわれて忘れられて行くんだろうね。でも、それでいいんだ。
なんでこれを残していたんですか?
まぁ、楽譜がこれしかなかったからね。今だったら楽譜をいろいろ選べるけれど、昔はこれしかなかった。だから、ずっとこれを弾いていたんだ。最近驚いたことがあってね、平井先生のお嬢さんがいた。そのお嬢さんとはお会いしたことがなかったのだけど、つい最近僕の楽団の「レ・コルデ」の協賛者の方と電話で話していて、この電話相手が平井先生のお嬢さんだったということがわかって驚いたね。平井さんのお嬢さんも僕のことを全く知らずに話していてね、50年後にこういう風になるんだからね。今度お会いすることになっているのだけれど、先生の書いてくれた楽譜を持って行くだろうね。
すごいですね。
面白いよね、人生って。これからあなたも経験するだろうけど、なんでもない、ふっと出会った人でもいろいろと広く活動しているととんでもないところで何かがあるんだよ。
<"100%いいことも悪いこともないんですよ。">
それで大学は宮崎でしたよね。そこで寝食を忘れて練習されていたと聞きました(笑)。
そうだね。やっぱり先生に憧れていたし、どうしてもやりたいとは思っていたけれど、僕は自分で勉強ができていないな、というのは気付いていた。そこにオーケストラのオーディションがあって、「よし受けてみよう」と思った。
それでオーケストラに入ることになったんですね。
僕がオーケストラに入れた理由は偶然でね、当時オーケストラに入る人は少なかったんだよ。昭和40年頃はトップレベルの人はソリストになり、その次は大学の先生になっていて3番目にオーケストラで、オーケストラに入る時点で「お前大学の先生になれなかったのか」という目で見られていた。それで面白いことに僕は東京フィルハーモニーに申し込みをしたんですよ。そしたら、父親に「東京にいく旅費を出してくれ」とオーディションを受けるために言ったら「金がない」といわれた。それであきらめかけていたのだけれど、東京フィルハーモニーの事務所の方が僕にオーディションの日程を教えるのを忘れていて、電話をよこした。「申し訳ございません、あなたに日程を教えるのを忘れていました。いつでもオーディションをあなたのために開きますので、東京に来る日程を教えてください」と事務所の方にいわれ、僕は「お金がなくて行けない」と答えた。すると、「それでは1ヶ月後に宮崎で私たちの演奏会がありますので、そのときに宮崎に行きます。その機会にオーディションを受けてはいかがですか?」と言ってくれた。それで僕は東京フィルハーモニーに入ることができた。これはすごい偶然で、当時東京フィルの事務所の方がちゃんと日程を教えてくれていたら、僕は東京に行けずオーケストラに入ることはできなかった。その事務所の人が忘れたということが僕の人生を変えたんですよ。ミスはミスであることもあるけれど、ミスがミスでない場合もあるんですよ。世の中っていいことも悪いこともあるけれど、100%いいことも悪いこともないんですよ。面白いよね。受験生に受験票を渡し忘れたのと同じようなものだからね。
そのあとはどうだったんですか?
とにかく東京に行って、お金のない状況にいたわけだ。東京に3万円ぐらいもらっていったんだけど、東京の家賃が高いことは知らず6000円のアパートで敷金がその4、5倍ぐらい。敷金の存在も当時知らなかったから一文無しになってしまった記憶がある。そこから始まったんだね。
<大切な楽器>
オーケストラの方はどうでしたか?
いきなりオーケストラの練習会に行ったら、「明日は『新世界』をやります。練習はいらないですね」といわれて、焦った。やったこともない曲で「私のためにやってください」という勇気もなく、それで大ミスをした。指揮者がどうテンポをとっているのかもわからずだった。最初の1年間は必死だった。それで3年ぐらいやっていたときに、コンサートマスターの方がいて、その人は僕と同じぐらい貧乏だった。彼が僕に売ってくれる楽器があって「お前、買わないか」といってくれていて、買いたいけれど当時給料の何倍もしていた。それで、飯を2食にすることにして、昼ご飯を抜く生活を1年間した。朝と晩の生活で、お金を貯めて楽器を買った。1度だけご飯を食べだけどね、先輩が見かねて大衆食堂に連れて行ってくれて、食べた。おいしかった、あのときは。そうして手にした楽器は捨てられない。今も残っている。他人はこの楽器はあまり良くないというかもしれないが、僕にとっては宝物。一生この楽器でいい。
<一歩手前に隙間があってそれが芸術なのだと思う>
それでずっとプロとして活動されたんですね。今はどうでしょうか?
今はとても幸せだね。人の付き合いというのが本当に大事ということを考えさせられている。名古屋からこっちに帰ってきて音楽ができる仲間がいて1000円の安いコンサートができる、半分ボランティアみたいなものだけれどね。仲間の力があってこういう風に結びついてくるんだから。
なるほど。
昔は、けっこう僕は自分勝手だった。自分が何かに打ち込んでいるときは自分勝手になるものだとは思うけれど、僕は天才ではない。天才は一生自分勝手でやっていけるだけど、凡人はそれではダメでバランスをとらないといけない。プロになった人たちの話を聞くと長い間ずっと楽器を続けていたという事実はあるけれど、寝食を忘れて集中していたという期間が2年から3年ぐらいあると思う。そういうときはかなり自分勝手だと思うし、そうじゃないとできないものなのかもしれない。親もない兄弟もない、とにかく音楽しかないということだったのかな。それが心底しないといけないよね、ポーズとしてやっていちゃ意味がない。本当に好きで、好きになるということは好きになるほど面白いのがわかるということなんだよ。
そうなんですね。
勉強だって面白かったら「勉強するな」っていっても勉強するんだから。貧しい国でも学校がなくても「勉強したい」「先生になりたい」「医者になりたい」って言っている。それが日本じゃ学校がたくさんあるのに「勉強したい」とはいわない。教育っていうのは難しいよね。それで、僕は音楽のレッスンをしない。教えないほどいいレッスンになる。本人に対してアドバイスすることやいろんな可能性を刺激することはいいのだけれど、「こうしなさい」という時点で学ぶチャンスを失っている。教えなければいいのだけれど、教えないとレッスンにはならない。進化っていうのはなんだろうというと目に見えないというかね。小説を読んだとしてもすべてを覚えるわけではない。あらすじはなんとなく覚えていて、何か一つの小節を読んだだけで心にくるものというか刺激があるんじゃないのかな。それをすべて完璧に覚えるものではない。感性は磨くと言うでしょ、知識は増やすけれど。いつも磨いていないとすぐに曇ってしまうものが感性。
うーん、なるほど。
退職した後、8ヶ月間楽器も触らずいろいろやっていた。趣味になったのはナイフを使った作業で、今までそういった怪我をするきっかけになることはできなかったから。でも、退職してから怪我してもたいしたことはない。それで流木アートが好きになってね、上人ヶ浜公園に行っては流木を探してそれを削ったりするのが趣味になった。面白いよね、これは女神のように見えるし、角度によってはいろんなもののように見える。これを女神にはっきりしてしまうと芸術ではない、何か「それらしく」見えるものに面白さがある。芸術というものは完成されたものではなく、一歩手前に隙間があってそれが芸術なのだと思う。あともう一歩というところで止まる勇気がいるのだろうと思う。教えるといっても言い切ってはいけない、演奏も「おれの演奏はこうだ」と見せるよりもお客さんが「こうかもしれない」というのがいい演奏なのだと思う。僕もいまだにわからない、どこがいいのかわからないからね、僕みたいには凡人には。
<これから>
これから何をしていきたいですか?
明確なことはない。ただ、自分が恵まれた存在であることは知っているし、何でも食べられる幸せを感じないというのはあり得ない。普通に今日何を食べようかと迷うことはとても幸せなこと、というのを感じていない人もいるけれどとても幸せなことなんだよ。「それじゃあ、おまえ食うのをやめるのか」と言われそうだけれど、それは無理だけど、でも世界にはいろんな人がいることを知らないとね。貧しい人のために何ができるのか、というのは僕にはわからないけれど、僕は演奏をしてできるだけお金を取らないで音楽を楽しんでもらおうと思っている。
若い人にいいたいことはありますか?
若い人にいうことはないね。教えられないだろう。本人が気がつくしかないだろう。気がつくことに僕の話がヒントになればいいけれど、メッセージはないな。メッセージを送るほどの思想はないね。僕自身はごちゃまぜのしそうだから、ただ、幸せな人生だった。退屈したところはない。3日に1回はプログラムが変わって指揮者もすぐ変わって、いろんなところに行く。そして、世界でこの人にしかできない、という人にも会える。そしたら、自分の経験なんて小さいもんだよ。自分が小さすぎてね、えらいとかそんなものは関係ない。人間ってすごいものだと思う。でも、若い人ほど断定的に考えるから、それをしないでほしい。こうじゃない考えもあるということを知ってほしい。
ありがとうございました。今日は楽しかったですね。これからもよろしくお願いします。
   
<ライブ情報 「レ・コルデ」第3回コンサート>
6月2日(土) 5時開場 5時半開演 オアシス広場21内 NHKスタジオホール「キャンパス」 Tel. 097-533-2825
6月9日(土) 2時半開場 3時開演 シャンテ・ドール2F(ホテル白菊前)Tel. 0977-24-7777
   
記者:今井紀明
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